お互い様

久しぶりに夫と一緒に「プロフェッショナル~仕事の流儀」を見ました。「 ”いい人生やった!” その一言のために 」と題する診療所医師の話です。途中から私は彼に悟られないように(また泣いてる~という顔をされるので~笑)、しかしボロボロと号泣。でも見終わった後彼もいいました。「今回のが今までで一番感動したかもしれない」と。

e0105846_8591131.jpg 人はもともとは支えあうために、群れをなし、家族を作り、社会を作り上げてきたんじゃないのかな。ちょっとの失敗を攻め立て、権利を主張して騒ぎ立て、少しでも自由や権利や利益が侵されたと感じればすぐに訴訟を起す。相手を責める自分は何者なのか?低次元なことでいえば、公園で遊ぶ子どもの声がうるさいなどと苦情を言う、そういう自分にのびのびと遊んだ子ども時代はなかったのか。


表題の気持ちを持つだけで、みんなが少し楽になれる気がします。
「お互い様ですから。」
これが今後、温かく生きやすい社会になるためのキーワードじゃないかと夫は言いました。
私もそう思います。
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by higumake | 2009-01-22 08:55 | 日々のくらし | Comments(9)
Commented by macyako559 at 2009-01-22 13:21
よく、プロフェッショナル見るのですがその回は見逃していました~、残念。
番組のサイトも見てきました。臨終まで家で家族に見守られながら過ごす、これこそ理想であり、幸せな最後のあり方ですね。
この医師の方立派なお仕事なさっている。

今の時代、隣近所の付き合いも薄れ。周りにどんな人が住んでいるかも解らない、自分達の生活だけ守られれば良いという風潮も広まっているような気がします。
私は今のアパートに引越ししたらすぐに、上の人から「子どもを走らせないで」という苦情を受けました。走りまわっていたのがたった一度、夕方だったし、まさか下の足音が上の住人の方に聞こえているとは解らず。周りの人に迷惑掛けないようにと、気を使っていたのにこれにはショックでした。「お互い様ですから」の一言でどれだけ気持ちが楽になる事か!
Commented by 神楽坂の妻 at 2009-01-22 18:00 x
これ私も見ました!同感です!

今同居している祖父が、人生の最終章を迎えつつあり
どう過ごすのが本人にとって一番良いのか?と
考えていた時に見たので、なんとタイムリーな内容!

自分が年をとった時には、同じように誰かに面倒見てもらうのだから
「お互い様です」と思わなくてはいけないんだなと。

とはいうもののまだまだ修行の足りない私は
「お互い様」の心を忘れがちです。
Commented by harokijs at 2009-01-23 08:56
同様に「お陰様」の気持ちも忘れずにいたいなと思います。
ものすごくたくさんの人の労の積み重ねの上に成り立っている今の暮らしのありがたみを、少しずつでも子ども達に伝えていきたいと思っています。
機会はいくらでもあります・・・
道路工事、交通整理をしている人、スーパーでカートを移動し並べている人、床をきれいにお掃除してくれる人、この野菜をどこかの畑で育ててくれた人、この魚は漁師さんが船で捕ってきたのだね等々、見回すとあらゆるもの・ことに「人」が関わっていますよね。全ての人が何らかの形で社会に貢献し、互いにその恩恵にあずかっている・・・・という「お互い様」「お陰様」ということなんだと思います。

子どもに日常の何気ない場面でそれらのことに気づかせるのは親の大切な役目かな・・・。
まず親自身が気づくことが先だったり。
大人が大人げない・・・なさすぎ?なことも、この時代増えているようで、子には見せたくないような気もするけれど、それも現実でありそこで見せる親の姿勢こそが子にはしっかり伝わるのではないかと思います。
Commented by harokijs at 2009-01-23 08:57
つづきです。
「ありがとう」の心や「おつかれさま」の気持ちを育てたいですよね。
なかなか(私自身が余裕にかけるため?)上手にそれらを伝えられているとは思えませんけど;

番組、見逃しました~。でもサイトの文章とあさこさんの文章でかなり要点というか大事なことを知り得たかな。ありがとうございます。

「志」をもって社会のために生きる人、素晴らしいと思います。
そういう人の姿に心が震える感じ、すごくいいなと思います。
Commented by higumake at 2009-01-23 10:32
★まちこさん
この番組は反響が高いと再放送されるので、そのうちまた放送してくれるといいですね。
そして騒音問題って明らかなものは置いといて、子ども関連は個人的な感じ方に大いに左右されますよね。まちこさんだって騒音も気にして1階の部屋を選んだと思うし、上の階からというのはちょっとこちらも落ち込んでしまうと思う。暮すのは毎日のことだし、だからってすぐまた引っ越せないし、でも毎日毎日静かに静かにと子どもに言い続けるのも苦しくなると思います。おびえながら暮すようなものだから。
でも大抵苦情を言ってくる人は、自分に余裕がなく何もかもが気に入らないじゃないかと思います。でもそこで生活はしていかなきゃいけないので、消音のカーペットを敷くなどできることはして、相手からは何か言われる前に謝る、出会ったら謝る、挨拶代わりに謝る、気持ちよく謝っちゃう、変な宗教みたいだけど謝るついでに相手の幸せも祈ってしまう、それしか対処法が私は見つかりません。
Commented by higumake at 2009-01-23 10:39
★神楽坂の妻さま
緒方拳さんの出ていた最後のドラマも、終末医療を考えさせられるものでしたね。私、祖父も祖母も自分が小学生のときまでに全員なくしているので、こういう問題って未知といえば未知なのです。この先生、看取った患者のおじいちゃんのカルテに最後の記録を書きながら、このカルテには新たに書き加えることはないんだなと言いながら、閉じたカルテにまで手を合わせていましたよね。そういう姿に圧倒されました。人生の最後をどんな風に過ごさせてあげられるのか、家族の哲学と思いが詰まりますね。そして自分も通る道だから、「おたがいさま」、決しておろそかにはできないことだと思います。
Commented by higumake at 2009-01-23 10:45
★ぱんださん
うんうん、その通りですね。「おかげさま」の土台がないと謙虚には生きられません。その上で「おたがいさま」の気持ちが持ててやっと、人間生きてもいい気すらします。命を食べなきゃ生きていけない、人間生きているだけで環境は破壊されていく生き物なのですから。でもでもわかってはいてもなかなか。そう思うとしみじみ人間日々修行ですね。親も修行しながら子を育て、よいことわるいこと伝え、ぱんださんのように日常の中で気付かせていきたいと私も思いました。ありがとうございました!
Commented by seicento at 2009-01-23 14:34 x
このテレビは見ていないのですが・・・

お互いさま。
という言葉は当然相手あってのことですが、
電車で公園で、ひたすらゲーム機に向き合ういまどきの子どもたちの先にはたして相手はいるのか?と最近すごく恐さを感じています。
電車の中で平気でお化粧する女性、同じ社内に乗り合わせるほかの乗客は彼女にとって単なる風景でしかない。そこに相手はいないから、もちろんお年寄りに席だって譲らない。
相手がいないから、見えてないから、助け合う発想も生まれない・・・
そんな気がしてなりません。

幸い、私のまわりには人との関わりを大事にし、困ったときはお互い手を差しのべあう・・そんな方が多いので息子たちにもいい影響を与えてもらっていると思います。
お互いさま・・・しっかり子どもに伝えていきたい気持ちですね。
あらためてそう思いました。




Commented by higumake at 2009-01-23 16:21
★seicentoさん
そこに相手が感じられない状況!モラルや社会問題はそこも大きな原因なんじゃないかって思います。自分さえ良ければ、自分が楽だから、人と関わるのは面倒だから・・・。そういう状況を見るのはとてもさびしいです。

子育ては自分ひとりで抱えると、とてつもなく大変な仕事。実家が近ければいいですけど、そうラッキーな状況もそうそうないから、だから大抵は母同士で助け合うようになりますよね。ちょっとお迎えお願いとか、預かるよとか、体調崩せばこれ食べてとか、seicentoさんもお子さんが体調崩していたとき、おかずのおすそ分けして下さる有難い友だちがちゃんといましたよね!殺伐とした人間関係がある一方、こうしてちゃんと人同士が機能している風景もあって、私たちはラッキーですね。
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